DailyReport巻頭言

2018年8月 月初の言葉 「無私」の概念【DailyReport巻頭言 第95回】

2018年8月社会福祉法人 長岡福祉協会 病児・病後児保育「すとく」

今月の表紙:社会福祉法人 長岡福祉協会 病児・病後児保育「すとく」

前回、兼愛という概念を紹介しました。この概念に対して最大の論敵である孟子は以下のように言っています。

墨氏は兼愛す。是れ父を無(な)みするなり。父を無みし君を無みするは、是禽獣なり

(『孟子』滕文公下篇)

(現代語訳)
墨子は兼愛(自分の父への愛と他人への愛とを同一視するという考え)を説くが、これは自分の父親や君主をないがしろにするものであり、禽獣の行いだ。

身近な人も他人も全く同じように愛する、というのでは獣の愛情であり、人の愛情ではないという痛烈な批判です。

またこのような文言もあります。

之を撃てば則ち鳴り、撃たざれば鳴らず

(『墨子』非儒下篇)

(現代語訳)
打てば鳴るが、打たねば鳴らない

撃つというのは、鐘を打つ、ということで表現しているのですが、これだけでは何のことかはわかりません。ご説明すると仕事で言うならば上司(君主)が聞けば(部下は)答えるが、聞かなければ答えない、という受け身の姿勢のことを言っているのです。

墨子は「打たれれば鳴る」臣下ではなく「打たれなくても鳴る」臣下こそが理想の忠臣だ、と言っています。

仕事において上役を諫める必要がある場合があります。儒家の場合は、三度諫めても聞き入れられない場合は、それ以上言わず身を引くのが礼儀である、とされています。しかし、墨家はいったん、諫めた以上もし受け入れられない場合は自ら命を絶つ、とされています。そんな過激な、と思うところはありますが、我が国日本の歴史においても、自らの命を絶つことによって君主の考えや振る舞いを厳しく諫めた忠臣も数多く存在したことは周知の事実です。

墨家は、音楽を演奏することを否定したり、葬儀の簡素化を主張したりしています。その根底には、音楽も葬儀も莫大な費用がかかり、その費用捻出のために国民に大きな負担がかかるから、ということでした。

古代中国の音楽は、君主お抱えの壮大なオーケストラのようなものです。それらの維持のためには莫大な費用がかかったからでした。

葬儀の簡素化は、古代中国の儒家の考えでは、三年間喪に服す、という考えがあったからでした。もちろん、経済は停滞します。音楽も葬儀もそのような背景があったからこそ、墨家はそのように主張したのです。

墨子はその思想の中に一つの宗教的信仰がありました。それは世の中に鬼が存在する、という考えでした。天の鬼、山川の鬼、人鬼、これら三種の鬼が幽界から人間の行動を監視して人間に賞罰を与える、そのような考えを持っていたのです。

しかしこのような考えは、徐々に失われていき今は見る影もありません。ただ清廉かつ少々過激、よく言えば純粋、悪く言えば融通が利かない、この墨家の思想の「無私」の概念は未だに価値があるように感じるのは、きっと私だけではないと思うのです。

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ABOUT ME
堀田慎一
経営コンサルタント/MBA/大阪市立大学大学院非常勤講師 1992年より2015年まで大手経営コンサルティング会社にて勤務。うち2002年から2005年まで一般財団法人医療経済研究・社会保障福祉協会医療経済研究機構にて勤務。2016年より一般社団法人国際福祉医療経営者支援協会代表理事。