今月の表紙:社会福祉法人こうほうえん ヘルスケアタウンうきま
前回、述べたように道教の教えは仙人となることを理想とした、と言われます。老子は世の中を大所高所から達観しているようです。しかしそこには、大事な人としてのあり方のヒントが語られています。
老子はこう述べています。
聖人は、其の身を後(のち)にしてしかも身は先(さき)んじ、其の身を外にしても身は存す。其の私無きを以てに非(あら)ずや。故に能(よ)く其の私を成す。
(『老子』第7章)
(現代語訳)
聖人は、我が身を後回しにしながら、かえって先になり、我が身を度外視しながら、かえってその身を保全する。我が身をどうにかしようという意識がないからではなかろうか。だから自己を実現できるのだ。
少々極端ですが、私の考えも含めて意訳をすればこのようになるでしょうか。
聖人というものは、自分の身をできるだけ控えめにするものだ、我が身かわいさ、という振る舞いをしないものだ、そして人の後ろに立つようにし、手柄というものは他人に譲ってあげるものだ、だけどもそのことによってかえって人の信頼を勝ち得て、人の中心に据えられ、自分の思うように自己実現をはかることができるようになる。
日本風に言えば、
「俺が、俺が、の「が」ではなく、お陰、お陰の「げ」で生きる」ということになるでしょう。
俺が、という「が」(我・・・自己顕示)ではなく、お陰の「げ」(下・・・謙虚さ)という人の下に位置して生きる、ということです。このことは仏教用語では「下坐行」(げざぎょう)と言いますし、英語ではUnderstandがその意味に近いのではないでしょうか。(相手の下に立つことが、相手を理解する、という意味にとれるからです)
実際に人間関係の中では、辟易とするほど自己顕示欲が強い人がいることもまた事実です。難しいもので、謙虚なだけであれば、報われることも少ないように思います。ここは「中庸」というバランス感覚を保ちながら、自らを振る舞うことが必要だと思います。
また、老子はこうも言っています。
功遂げて身退くは、天の道なり
(『老子』第7章)
(現代語訳)
仕事を成し遂げたら身を退ける、それが天の道というものだ
どのような形であれ、組織で仕事をしていれば、出所進退の難しさは、必ず発生する出来事です。人は一度、評価されたり、名声を得るといつまでもそのことや地位に汲々としがちになります。特に年齢を得れば得るほど、将来に不安を感じるようになるとしがみつくようになるものです。これは自らの身を守るための「本能」だからこそ、難しいのです。
いさぎよく、後進に道を譲ることは、「言うは易く、行うは難し」なのです。
PDF版は無料でご購読いただけます。
毎月25日に、ご登録いただいたメールアドレスに、来月号のDailyReportをお送りします。
職員さんとスマートフォン等でお読みいただいたり、部門長の方の日々の朝礼での一言にご活用いただいたり、デジタルのツールとしてご使用いただく方は、こちらよりご登録ください。
堀田の書籍はこちら
コミュニケーション活性化で組織力向上! 経営者・管理者が変える介護の現場