今月の表紙:社会医療法人誠光会 介護老人保健施設 草津ケアセンター
「性善説」「性悪説」とは誰もが一度は聞いたことがあるでしょう。主に「性善説」を説いたのは孟子であり「性悪説」を説いたのは荀子です。今回はこの荀子を取り上げます。
日本人は感覚的に「「性善説」が好きな国民性です。それは善行には良いことが巡ってきて、悪行には悪いことが返ってくる、という考えを重視するからです。実際そのような価値観でなければ、皆が悪いことをするのが平気な世の中になってしまいます。
しかしながら「衣食足りて礼節を知る」と言う言葉もあるように日本の戦後の混乱期や貧しい国などはそのようなきれいごとではやっていけないし、そうはできなかったこともよくわかるはずです。
今でこそ、日本人の勤勉さ、道徳観、公共マナーなどは世界に誇れるものですが、戦後間もない時期、電車の乗車マナーなどは、誠にひどくお粗末であったことはテレビなどで視聴した人も多いはずです。
わが国には「恥」の文化がありますが、それが発揮されるのもある一定程度の生活レベルがあるからこそ、なのです。それがない段階では、善悪の判断は二の次になることは、歴史が証明しています。
告子と言う人物はこのように言いました。「人間の本性に善や不善の区別はない。善となるか不善となるかは後天的に決まるのだ」
確かにおっしゃる通りです。生まれながらにして、というのがどうしても説得力に欠けるところなのです。
荀子はこのようなことを述べています。「人間の後天的な努力と規制、つまり学問による自己改革と礼が重要なのだ」
経営者である皆様はこのことでよくお分かりだと思いますが、様々な職員がいる中でその管理をしていくにあたり、性善説で人を信用してばかりいてうまくいくかと言うとそうはならないことを実感しているはずです。
荀子はこう言います。
人は礼無ければ、則ち生きず、事は礼無ければ則ち成らず、国家は礼無ければ則ち寧(やす)からず。
(『荀子』修身編)
現代語訳
人間は礼がなければ生きてゆけず、物事は礼がなければ成就せず、国家も礼がなければ安寧とはならない
その根拠が以下の言葉です。
人の性は悪なり。其の善なる者は偽なり
(『荀子』性悪編)
現代語訳
人の性は(何もしなければ)悪になる。善の(ように見える)偽者である。(ことほどさように本当の善者を育成することは大変なことだ)
カッコ書きで注釈を付けくわえた現代語訳になっていますが、そのような意味を成していると考えるべきなのです。
そう考えると荀子は、なかなかの本質を突いているのです。
古典と言う点で見るとどうしても、論語や性善説に光が当たります。しかしながら現代社会においては、この性悪説の内容を知れば知るほど、巧みに大事なことを突いているように私には思えます。
元々人間の本性は赤子で生まれた時は、何らその差はないはずです。しかし、それから数年、数十年後にその環境などにより、善人や悪人が出ることになります。荀子は、その環境下の中で「礼」がいかに重要か、ということを説いているのです。
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