今月の表紙:伸こう福祉会クロスハート幸・川崎(神奈川県)
前回、一斎が言志録10条でこう述べたことを記載しました。
「人間はだれでも皆、次の事を反省し考察しなければいけない。それは「天は何故に自分を此の世に生み出したのか。また天は我れに何の用をさせようとするのか。自分は既に天の生じた物であるから、必ず天の命ずる職務がある」
人は誰しも十人十色の個性があり、それぞれの人生において何かをなすために生まれてきたのだと私は思います。しかしその力を発揮できる人と発揮できない人がいます。一体その差はどこからできるのでしょうか。
「天の時、地の利、人の和」と言われます。この言葉にもあるように、様々な要因が重なって結果は変わってくるのかもしれません。きっと成功の結果なるものは、自分一人だけの頑張りではないことでしょう。ただそれらはどのような形であれ、基本的には行動の結果から生まれるのです。しかしその行動の基は心(内面)にあります。そのおもいがぶれることなく、立ち向かえることができるかが重要なことではないかと感じるのです。
一斎はそのために「立志」(立志とは、一定の目的を立てて、これをなしとげようと志すこと)が重要だと語っています。
立志の立の字は、豎立·標置·不助の三義を兼ぬ。
(『言志耋録』第22条)
(現代語訳)
立志の立という字は、真直に立つという豎立(豎立じゅりつ:真直 に立つ、たてる)と、目印をする(または目立つようにする)という標置(標置ひょうち:めだつようにおく。あらわれ立つ。目印をしておく)と、しっかりして動かぬという不動(不動:しっかりしていて、動かぬこと。精神の乱れないこと)の三つの意義を兼ねている。
立志という言葉の意味を述べています。
学は立志より要なるは莫し。而して立志も亦之を強うるに非ず。只だ本心の好む所に従うのみ。
(『言志録』第6条)
(現代語訳)
学問をするには、目的を立ててこれを遂行しようと志すことより肝要なことはない(志を立てることが大切である)。志を立てることも、外からこれを強制すべきものではない。ただ本心の好む所に従うばかりである。
仕事ができる人の共通項は「目指すべきものがしっかりしている」ということではないでしょうか。それは本人が好み、自ら設定していることのはずです。
立志の功は、恥を知るを以て要と為す。
(『言志録』第7条)
(現代語訳)
志を立てて成績をあげるためには、外(周囲の人々)からも、または内(自分)からも恥辱を受けて発憤することが肝要なことである。
立志の工夫は須らく羞恥念頭より跟脚を起すべし。恥ず可からざるを恥ずること勿れ。恥ず可きを恥じざること勿れ。孟子謂う「恥無きを之れ恥ずれば恥無し」と。志是に於いてか立つ。
(『言志耋録』第23条)
(現代語訳)
志を立てるにはどうすればよいかを考えるには、まず最初に、自分の不善を恥じ、人の不善を憎むという差悪心から出発しなければならない。恥じなくてもよいことは恥じることはいらないが、恥じなければならないことを、恥じないようではいけない。孟子も「恥ずべきことを恥じないでいる(厚顔無恥な)ことを、恥として悪むようになれば、おのずから恥から遠ざかれる(恥は無くなる)」と言った。このようにして、志が始めて立つのである。
「恥」の概念ならびに文化は、発憤するエネルギーとなり、また反面「おかしなことはできない」「恥ずかしいことはできない」という概念ともなり、わが国の社会が善循環で動いてきた、と言うことができるのではないでしょうか。もちろん経営もそのようにありたいものです。
堀田の書籍はこちら
コミュニケーション活性化で組織力向上! 経営者・管理者が変える介護の現場