実録 蘇生した介護老人

第22話 ホームローズの第一印象 -実録 蘇生した介護老人-

第一印象

平成28年7月下旬の土曜日、息子の車で走り、東京を去って埼玉県に移送されるのだが特に厭だなという感傷にはならなかった。車で1時間たらずの通勤圏内だから田舎ではないという言い聞かせで自分を支えようとの気持ちでもない。人生半分諦めの境地が底流に流れ始めているのだろう。

創設後数ヶ月との情報に違わず、3階建ての中規模マンション風の建物は地味な茶系カラーだが、エントランスホールには応接セットが2組あり、明るく清潔で好感を持った。案内された個室も白に近いベージュの壁と薄茶のフローリング、焦げ茶色のドアと天井まで届く同色のワードローブと、全体でのコントラストが程良く落ち着き感があった。

  ワォッシュレットつきトイレと洗面セットが設置されているセクションは車椅子ごと入れる広さがあるので、車椅子の不使用者は物を収容することができ、前の施設Cが、2人部屋であることは惜(お)き、トイレは全員共用、衣類収納はハンガーが5個ほどしか入らない収納ボックスだったことと比較した。B病院の物収容は更に小さく、隣人と共用だった。 

ホームローズのパンフレットやインターネット情報の写真より実物の方がはるかに良いと思った。これらの記事・情報は関連法規、条例等の定める所要項目を挙げることが主力になっているのは致し方ないとしても、情報媒体の方が実物よりもプアに表現されていることはいささか勿体ない。

その部屋に、息子が調達した置き炬燵式テーブルとリクライニング座椅子や抽出付衣類ケース、座布団、19インチテレビ、本立て、亡妻の仏壇が運び込まれた。座椅子は焦げ茶色の布製で偶然周りと調和がとれたが他のものはちぐはぐだ。部屋に訪問客があった場合の椅子と出来れば事務用の小机が欲しかった。他の人の部屋を覗くと冷蔵庫も置いてある。終の棲家にするためには最低の日常的用具類を揃えないと安息感を持てないだろう。

  ローズの食事は原則的に各フロアの住人がそのフロアの食堂に集合して4人ずつ食卓の定席に着く。席は住人の状況によって施設の意向で替えることがある。大体は、男性は男性同士で一つのテーブルを囲む。私は隣り合わせや向かい合せの人がどんな人か気になるので初めての人には当方から話しかけるよう心掛けるが、先方から話しかけられることはまず無いことに気付いた。会話が成り立つようになれば、その人の趣味、経験が分かり、その分野で話を合わせ又は話を誘導するよう心掛けようと思う。自分の昔の自慢話だけをしたがる人や話の焦点がずれて行く人とは、一応会話の形になっても通じる部分はいくらもなくなる。

人と言葉を交わすと始終「あーあ」と溜息を吐くM夫人が目(耳?)に付いた。それを嫌がって注意する向かいのK夫人に「溜息をすると不幸になるが、それを拾った人は幸せになるので拾ってちょうだい」と言ったところ、「私は拾わないわよ!」とK夫人はきつく返していた。私が言われたなら、「人が痰を吐いて棄てた鼻紙を誰が拾うモンか!」と吐き返すだろう。 

こういう人達が少なくない環境だと、入居後10日経たない内に印象づけられた。

そういう会話が入居者同士で交わされる点で、自分が何故そこにいるか分からない人が多数いた施設Cの入居者構成より、ローズの人の方が少し上だと感じた。

また、男女とも食堂に来るだけでもシャツ、ズボン、セーターなど着るものには気を遣っている。いうなれば、しゃれ気がある。女性のなかには、よそ行きしても魅せられる柄模様のセーターを着ている人もいる。車椅子を離せない人でもそうだ。シャレ気は認知度向上の重要要素だ。私がトレパンのバンド部分の腹の中心部(紐で締める部分)を5センチ左にずらしていたのを女性職員が見て、すぐ私に注意してくれたということだけでも当ホーム全体の気風を示していると思われる。施設Cではパジャマ姿のまま食堂に来ていた人は一人二人ではなかった。

食事の質も問題なく前施設より高い。そこでは昼食は一汁二菜、朝は一汁一菜に牛乳かヤクルト付きだけだったに比較して、ローズは、昼は一汁三菜、昼・夜はフルーツ付きが原則で、レシピに気を遣っている事が分かる。たまに、日曜の昼(現在は朝)にライスでなくパンが出て、これにポトフとポテトサラダ、フルーツが付く。このメニューは秀逸と思えた。ただし、バターのつかないパンは画竜点睛(がりゅうてんせい)を欠く。ところで、問題がでた。

配膳されたトレーにご飯のどんぶりが乗っていないのだ。私の隣席者2人にご飯がない。それでは、他の2人に知らぬ顔して箸をつけることを躊躇(ためら)う。ご飯のない2人がモジモジしていたので、私がお節介で居合わせた職員を手招きして「こちらの人にご飯がないよ」と告げた。配膳の職員が調理室に走ってご飯の丼を持ってきた。持ってきた丼は1個(杯)だった。持ってくるまで4分は掛かった。残された方が「私も!」と、発声した。職員がまた走った。今度は3分ぐらいだった。丼があったほうの2人は気にしながらゆっくり食べていたが、2番目の人に丼が届いた時には食べ終わりに近かった。

職員は「すみませんでした」と頭を下げた。「こんな事がないようにしなさいよ」と私が言ったら、「はい、そう言っておきます」と答えられたが、誰にどう言ったかは分からない。

ところが、これとまったく同じ丼事件は後ろの席にも起きたし、丼とおかずが揃っていても箸がなくて食べられないという手落ちや、汁がお椀の底にしか入っていないという問題が私自身にも起こった。お椀の問題は職員に告げないで済ませた。ご飯の丼が付いていない事件は、その3,4日後も私の同席者に対して全く同じことが起き、今度は同席者が「あ、まただ」と言って、職員に注意した。私は「誰かがお二人にご飯を食べさせないペナルティーを課したンですな」 と最早笑いながらお茶らかす以外になかった。

この様な手落ちが頻発する事の責任は給食受託会社にある。小学生でもできる配膳watching(監視)の体制を採っていないのだろう。ホームローズは内政干渉にならない範囲で受託同社に忠告する事が望まれる。ここの入居者がホームの事務局に対してクレームするだけでなく、外部者に伝えるとホームに好ましかざる評判を及ぼす。

憧れにした私の外出自由への期待は少し甘かった。

50mも離れていないコンビニに日経新聞を買いに行くのにフロントの事務局に許可を求めねばならない上に、事務所員の付き添いが要る。付添外出は10分250円だ。長らく読めなかった日経(160円)を読むため250円を惜しまず付き添いを頼み、初めて外出し、10分で戻った。日経新聞が410円についたが、私の主観的価値はそれに相当した。私の外出の制約は、当ホームと保証人たる息子と事前に取り決められ、私もその概要メモを受け取っていた事を思い出した。最早や、一人前の人間に属さない身分を哀れに思った。何とかか脱却したい。

事務局を通して息子と相談して貰い、次回から週に1度はコンビニなどごく近い距離には独りで外出できる身分に出世した。秋になれば更に距離が延びる期待も持てた。

それでも私は恵まれている方で、門外は愚か、建物の玄関からも出られない人達が多い事を知らされた。私が施設C時代に6階から出られなかった時と同じ籠の鳥の人達だ。どの人でも外気を吸い、太陽の光に当たりたい願望があるに違いない。ワォッチャーを頼んで庭に出て、体操をしたら如何だろうか? また、事務所が開閉する9時~6時以外は、入居者は全員例外なく建物の外に出られないとする鉄則も改正することができないだろうか。見舞い客も、6時にはお引き取り願う規則になっている。この点も8時までに延長できないものか、職員の過重労働になるのか検討を願いたいところだ。施設Cでは面会の締め切り時間は8時だった。それで居住者は面会者との会話を楽しんだ。 次節からは、私の気分の若干の落ち着きと時間的自由によって広がった視点で介護生活の環境や他の居住者を観察・分析できるようになってきたので、それらをも採り上げることとする。

我々は、医療・介護・福祉のすべての人に有益な情報をお届けする活動をしています。
ぜひ以下のサイトもご参考になさってください。

一般社団法人
国際福祉医療経営者支援協会

一般社団法人
これからの介護医療経営塾

現在、病院管理者養成塾、第1期生募集中です。

医療・介護・福祉に携わるすべての人に読んでほしい
Daily Reportの詳細は下記をご覧ください。

堀田の書籍はこちら
コミュニケーション活性化で組織力向上! 経営者・管理者が変える介護の現場
ABOUT ME
堀田慎一
経営コンサルタント/MBA/大阪市立大学大学院非常勤講師 1992年より2015年まで大手経営コンサルティング会社にて勤務。うち2002年から2005年まで一般財団法人医療経済研究・社会保障福祉協会医療経済研究機構にて勤務。2016年より一般社団法人国際福祉医療経営者支援協会代表理事。