今月の表紙:社会福祉法人桑の実会 特別養護老人ホーム 本郷希望の丘
諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の戦国時代 (前 403~221) に輩出した多数の学者・学派の総称です。「諸子」は孔子、孟子、荀子、墨子、老子、荘子などの人物を指し、百家」は儒家、墨家、道家、法家などの学派を指します。
これまで孔子、孟子、荀子という儒家の三者を取り上げました。儒家の始祖の孔子、性善説の孟子、性悪説の荀子という具合です。諸子百家の中で最大の勢力を誇ったのが、これら孔子、孟子、荀子を代表とする儒家だったわけです。
この儒家と激しく対立したのが墨家(ぼっか)でした。墨家の開祖は墨翟(ぼくてき・墨子)。その生涯は謎に包まれていて生没年や出生地もわかりません。ただ、墨子の学説は一時、非常に流行し儒家を圧倒する勢いがありました。孟子その書のなかで極力これを排撃しようとするところが散見されました。また墨子の書の中では弟子が300人いたことなどが書き記されています。
では我々もあまり聞きなれない墨家とはどのような考え方だったのでしょうか。その基本概念は「兼愛」と言うものでした。「兼愛」とは「別愛」に対する反対の概念です。
兼(か)ねて相愛(あいあい)し、交々(こもごも)相利(あいり)す。
(「墨子」兼愛中篇)
(現代語訳)
自分を愛するように他者を愛し、天下の人すべてが互いに利益を共有する。
清の時代、墨家はその思想がキリスト教社会主義に似ているとして西洋で注目されるようになったこともありました。「博愛」と訳されるその概念がよく似ている、ということであったのでしょう。
「兼愛」の反対概念に「別愛」があります。「兼愛」は人を愛し、人を利することであり、「別愛」とは自ら愛し自ら利すること、です。墨子の言う利には道徳的意味が含まれており、個人的な利を追うのではなく、社会全体を見ての利を追うべき、という考え方でした。
わかりやすく言うと「兼愛」は、人々を全て平等に愛せ、ということであり「別愛」とは家族への愛情は別物であり、他人とは違って大事にしなければならない、ということです。
他人よりも家族を優先し愛することは当然のことのように思いますが、親孝行とは家族を特別視する「別愛」に当たり、墨子はこのように他者や家族を別物とするから人間間で争いが起きるのだ、ということを言っています。
これはまさしく人間愛、人類愛そのものですが、現代に生きる我々からするとあまりに飛躍しすぎた考え方であり、それでは皆が信奉しないだろうというのがわかるように思えます。
ではなぜこのような考えに墨子は至ったのでしょうか、それはその時代背景を考えるとわかります。
大国は小国を攻め、強者は弱者を脅かし、多数は少数を圧し、富貴は貧賤に驕る状態でありました。その原因は別愛の概念で動くからだ、ということであったのです。世の乱れに対して何とかその偏りを正したい、という墨子の正義感の表れがこのような思想的な土台になったような気がしてなりません。
兼愛の方法は、人の国を見ること己の国を見る如く、人の家を見ること己の家をみる如く、人の身を見ること己の身を見る如くするにある、とあります。
現代で言うところの経営者がそのような考えを持って対処するのは素晴らしいことですが、それは相手もがそのような考えを持っているからこそ、成り立つことです。
墨家の考えは素晴らしいものですが、結局は衰亡していきます。その歴史は次回以降に述べたいと思います。
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