今月からは貞観政要(じょうがんせいよう)という書籍をご紹介します。貞観政要は、唐の二代皇帝、太宗の言行録です。題名の「貞観」は太宗の在位の年号であり、わが国でいうと「昭和」「平成」という和暦と同じです。「政要」とは「政治の要諦」という意味です。
本書は、唐の太宗の政治に関する言行を記録したものです。中国では古来、様々な君主論が存在しました。そうした中でも本書は帝王学の教科書として最高に値するとまで言われたものです。日本でもその評価は高く、歴代天皇にも進講されました。
主な内容は、太宗とそれを補佐した臣下たちとの政治問答を通して「貞観の治」と言われる、とても平和でよく治まった時代をもたらした治世の要諦が語られています。太宗が素晴らしかったのは、自身が臣下を戒め、指導する英明な君主であったばかりでなく、臣下の直言を喜んで受け入れ、常に最善の君主であらねばならないと努力したところでした。
中国には古来、天子に忠告し、政治の得失について意見を述べる諫官(かんかん)という職務がありました。実際に、歴代の王朝に諫官が置かれていましたが、天子の怒りに触れて左遷されたり、殺されるということも多かっため命がけの仕事であり、単に天子の顔色を伺うだけの者もいたと思われます。しかし、太宗は臣下の忠告・諫言を得るため、必ず温顔で接して臣下の意見を聞いていました。
自分の気に入らないことがあれば、平気で部下を殺すことがまかり通るような世の中で太宗のように部下たちの忠告に耳を傾け、積極的に登用した皇帝は極めて稀だったのです。
また太宗は質素倹約を奨励しました。王公以下に身分不相応な出費を許しませんでした。部下たちが太宗のために避暑の宮殿の新築を提案しても、太宗は費用がかかり過ぎると言って退けました。そして、太宗を補佐した重臣たちも、私利私欲を図ろうと思えば、容易にできたであろう立場にいながらもその自宅は奥座敷すら無いという質素な生活をしていました。だからこそ、庶民からも絶大な信頼を集めることができたのだろうと思われます。
太宗の人柄をすることができる一節があります。
朕(ちん)每(つね)に其(そ)の身を傷(やぶ)る者を思うに、外物(がいぶつ)に在(あ)らず、皆嗜欲(しよく)に由(よ)りて、以(もっ)て其(そ)の禍(わざわい)を成す。
(『貞観政要』君道第一)
(現代語訳)
私はいつもその身を滅ぼす者について考えるに、決して外圧によってではなく、皆自らの欲望によってその禍根を作ってしまうのだ。
全ての禍根の原因は己自身にある、というトップの戒めの心が「貞観の治」と呼ばれた素晴らしい時代を作ったと言えるのです。
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