隣のベッドにいる石上さんの30代の娘さん姉妹は、ほとんど毎夕見舞いに来ていた。二人とも横幅の膨らみが偉大ながら快活な人で、からかい抜きで羨ましく思った。来られたときは、私に必ず「こんばんは」と言い、私は「いらっしゃい」と挨拶を交わすが、特にそれ以上の会話はしなかった。
我々のベッドの空間が1間とないので、彼女のー人がベッドサイドの丸椅子に座ると、夕食後牛にならぬよう右に体を向けた私の顔前に彼女のお尻が迫る。ジーパンがパンパンに膨らみ、すごい肉感だった。彼女も気がついたのか、少し斜め向きに座るようにしたようだ。
ある夕方、石上さんの左腰の脇にタブレットと覚しき物が置いてあるのに気づいた。倒れる少し前に買ったばかりのタブレットの使い方に慣れようと思いながら、それを使わずに失ってしまった私に猛然と興味が蘇った。
「石上さんのお嬢さん、失礼ですがそれはタブレットですか?」私が問いかけた。
「あ、これはタブレットではないですが、人とお話しができ、テレビも映る△△です。」と答が跳ね返ってきた。何か商品名を言われたが頭に入らなかった。
「お貸ししましょうか?」
「いや、結構です。ありがとうございます。」
それから話が弾んだ。
「毎日お見えになっているようで、すごいですね。石上さんはお嬢さんをお持ちで羨ましいです。私などは息子だけで、二人いますが一人は静岡県におり、一人は東京ですが会社勤めなので忙しく、両方とも滅多に来ません。」
「私たちは近所で、自転車でも来られるし、勤めも夕方に終わるので毎日来るようにしています。」
「それは素晴らしいですね」 私もお相伴でこの娘さんたちに毎日癒されたのである。
私は石上さんがしていた仕事の職種が知りたかった。が、それをこちらから姉妹に聞くことは憚(はばか)り、もし先方が私に聞いてくれば、私は法律関係とか財務関係の仕事だということとの交換に、先方の仕事を聞き付けようと、その機会を待っていた。
しかし、娘さん達が会話の出来ない父親に対し、昔可愛いがられた出来事など心暖まる思い出を話し掛けることからある程度の推測をした。初め、「シェフ」との言葉があった時レストランか洋菓子店のシェフだったかと推測した。別の時に、「お父さんの揚げ物は最高だったわよ」との話しかけで天ぷら店のシェフかと絞った。しかし、日本の名代の天ぷら店であれば「マスター」と呼ばれることがあっても「シェフ」とは呼ばれないだろう。ということで、ホテルかモールの中の天ぷら店に勤めたのだろう。その後、自分の店を持ったのかもしれない。最後まで確認をする機会はなかった。お父さんが料理店の経営をしていたからこそ娘さん姉妹が豊かな体に育ったのだろうと、骨皮筋右衛門の私は想像を逞(たくま)しくした。
娘さん達は、大抵二人揃っていたが見舞いに来るときは時差があった。最初に来た一人は、必ず夕食の配膳前に来て、まめまめしく石上さんの寝間着を整え、食事を口に運べるようベッドを起こし、それから持参したラジオの歌番組にチューン合わせをしていたようだ。あるいは、あの新型ネット機器で歌のアプリを取り出したのかもしれない。
青い山脈や戦後流行った流行歌は私の耳に馴染んだが、「テレビもねー、ラジオもねー、おらーこんな村いやだ、おらー東京へ行くダー、東京でベコ飼うダー」の吉幾三のコミカルな歌詞と曲は、石上さんは毎夕娘さんの器具から聞かされていたが、同じく聞えてくる私には食傷気味だった。 ついでに私は「俺は死んじまったダー、俺は死んじまったダー、天国良いとこ一度はおいで、酒は美味いし、ねーちゃん綺麗、あ、あ、あ・・・」を連想して、独り北叟(ほくそ)笑(え)んだ。歌の詞を知ったり復習したりすることは、私にとってはおしめ対策に必要なのだ。
機を見て、私が「湯島の白梅の歌詞を知りたいのですが、1番の最後は『残す二人の影法師』と『残る二人の影法師』とどっちが正しいのかお判りですか?」と尋ねたら、「はい、ちょっとお待ちください。調べてみます」と手持ちの機器でみて、「残る」ですと教えてくれて嬉しかった。トイレ我慢のために口ずさむだけだが、間違って歌うべきでないと拘(こだわ)りがあったのだ。
大相撲の時(平成28年春場所)は、6時の打ち止めと夕食が始まるまで、その機器を石上さんの顔の左側にかざした。恐らく、私も覗けるようにと娘さんが配慮してくれたに違いない。お陰で、遠藤や逸の城などの新鋭力士の姿をちらちら眺められた。
お嬢さんたちは、「私達が来て嬉しかった?」 「嬉しかったら笑いなさいよ」 「あら、笑ったわ」 「いや、笑ってないよ」と、毎夕、お父さんの顔を見入って、「じゃー、今日はこれで帰るからね」 「明日、お姉ちゃんは来られないからね」と挨拶し、振り向き振り向きしながら帰っていった。こんな父親思いの姉妹が毎夕見舞いに来るとは何と素敵な家族なのか!
私も配膳された食事を石上さんと同時にするのだが、食事の最中、つまり足を食卓の下に伸ばしていた際に、時々尿意を催すことがあった。仰向けになっているときはそのままおしめに放尿することに慣れたが、座位のまま、しかも食事中にそのまま放尿することは、おしめがあっても出来るものではない。尿意をもう暫く我慢すればよいではないか! とんでもない、夕方5時の「おしめ交換」のタイミングを逃したのだ。それで、私は右横のお嬢さん達がお父さんの世話をしていた間に、リクライニングを下げ再度ベッドに仰向けになって放尿したのだ。お嬢さん達は私が用をたしていたなどについては気づいていない。ベッドを立て直しするまで10秒も掛からないですませた。その上ズボンのチャックを上げ下げする必要が無いから「寝小便」は楽なモンだった。
次回へ続く・・・
大山 Tak 卓 1931年生まれ。
介護ホームローズ(仮名)入居者。東京大学法学部卒。国税庁入庁(大蔵事務官)、税務署長。エッソ石油(現エクソンモービル社子会社)税務部に転職、東京及びニューヨーク本社在勤。その後、ファイナンス会社数社の経営に参画。対米、カナダ、香港の投・融資・契約業務実施。国際経営コンサルタント。
編集者:野口 Kao 廣太。1986年生まれ。介護ホームローズ(仮名)施設長。理学療法士。デンマーク国立Egmont校卒。スヌーズレン施設設立。教員アシスタント。デンマーク福祉施設にて障碍者、高齢者への支援を実施。
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