「ここはどこだ? 俺は、今なぜここに寝ているのか?」
不意に目覚めた。夢ではない。体に2本のチューブが下りて刺さっているのを見た。
ベッドに寝ている。病院だ。何処だ? 分からない。目を凝らすと、左が壁で、右のベッドに老人の男が寝ているのが分かった。その先に目を向けると、その人の右側の壁に標識ボードが下げられており、病院名と医者と患者の名前、入院月日が書いてあるようだがよく読めない。私の標示もある筈だと思い顔を動かそうとしたが首が動かない。頭の先の上方にありそうだと思い、腰を捻ろうとしたらもっと動かない。体に痛みはないが、とんでもない状態なのだと感じた。
程なく、看護師さんが回ってきたので、此処の場所、今日の日付、入院した日を尋てクリスマスの前後だったと聞かされたようだったが忘れてしまっている。
ここが新宿区のT町のB病院だとは分かったが、なぜこんな状態になったか全然分からない。朦朧とした意識の中で手枷になっているミトンを外したく、口でかじって綴じ紐ごときのものを取り外そうともがいた覚えがでてきた。覚えがでたのだから、混濁の中にありながら何かは感覚に残っていたのだろう。
着けられているおしめを濡れたままにしておくことも私は本能的に嫌がったのだろう。小便を催した時はある特殊な所作をすると出してもおしめをぬらさずに吸収してくれるという妄想を持っていた。
所作は、「オシッコよ、オシッコよ、何も濡らさないようにおしめに直進してくれ」と口の中で呪文を唱えつつ、伸ばした右手の中指で、ベッドのシーツに川の字を書き、「ready(用意)!」で川の字を丸で囲み、ゆっくりと「発射!」と命令する。そうすると、おしめは濡れないと無意識の中で妄想した。オシッコが切迫しているときは、この呪文をゆっくりと唱える暇がない、所作に失敗したのでお腹の上を生ぬるい液体がゆっくり流れて尻の下に回り冷たく濡れる。
今、これを分析すれば、前者の場合は、オシッコは少量であり、濡れを感じないでおしめに吸収されるが、後者では多量なのでずれたおしめと腹の隙間から液体が流れだすという物理に過ぎなかったことだ。
この呪文の唱え方は、しかも、このB病院の先生から教わったので、呪文の効き目が弱まったことを回復するよう先生にお聞きしなければならないなどと悩んでいる。その先生が出勤されたときに何としても伺わねばならない。まさに混沌幻想の世界を行きつ戻りつしていた。
混沌は、夢や寝言にも現れる。私は、大きいうめき声を発発したのみならず、「この病院の経営はナッチャない。しっかり資金繰りを予測しないとつぶれる可能性がある。私が指導してあげよう」などと偉そうな発言をしたので、これを耳にした病院の先生や、看護師さんたちに「失礼なことをしゃべって申し訳ありません」と詫びを入れなければならないという現実に近い夢と寝言である。看護師さんから注意されたかどうかの覚えはない。
このB病院の前に、救急車で運ばれて壮絶な治療を受け、生死の狭間を3度往復していた国立国際医療センター(NCGM)での丸1ヶ月の苦闘の期間があるのだが、その入院中の記憶は現在でも完全に失ったままである。NCGMでの状況は同病院における診療記録、看護記録等の記録(680ページ)の入手(2018.5月)、読解によって自分ながら驚くべき状況が分かったのであるが、これらの叙述は最終章に送らせていただきたい。
次回に続く・・・
大山 Tak 卓 1931年生まれ。
介護ホームローズ(仮名)入居者。東京大学法学部卒。国税庁入庁(大蔵事務官)、税務署長。エッソ石油(現エクソンモービル社子会社)税務部に転職、東京及びニューヨーク本社在勤。その後、ファイナンス会社数社の経営に参画。対米、カナダ、香港の投・融資・契約業務実施。国際経営コンサルタント。
編集者:野口 Kao 廣太。1986年生まれ。介護ホームローズ(仮名)施設長。理学療法士。デンマーク国立Egmont校卒。スヌーズレン施設設立。教員アシスタント。デンマーク福祉施設にて障碍者、高齢者への支援を実施。
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