実録 蘇生した介護老人

第6話 病人の部屋で -実録 蘇生した介護老人-

第6話_病人の部屋で_実録蘇生した介護老人

私達の足元の先には病院長とスタッフが詰める部屋と病室の出入口があった。スタッフルームの我々病室側はガラス窓があり、半分はカーテンが掛かっていたが半分は開いており、始終我々をモニターしていた。出入口はドアが付いていたに違いないが、常時オープンだった。

要するに、我々は重症患者扱いで常時看視されていたのだろう。

隣人はいざ知らず、私は、逆に院長やスタッフの動きを見ることが出来た。スタッフルームを見るとスタッフと目が合うことも度々あった。院長が新聞の株価ページを開いていたような姿も見えて、経営者なのだと親近感を持った。
出入口付近にはスペースがあり、「9時になりましたので朝礼をします」と師長が号令し、その日行われる重要事項を説明する。耳を凝らせば聞こえる程度だったが対象になった患者の名前は、自分でない限り気にしなかった。誰さんが今日入院します、退院します、などだった。

病室には私用の物はごく限られていた。このB病院がNCGMからの転院を一切請け負ったのだろう、入院当初は保証人たる息子はただ入院手続をしたのみだったと思われる。着替えや洗面道具類を持ち込みもしなかったし、現に病室には私用物の必要もなかった。病院側が後から、室内履きの靴、シェイバーの必要を息子に伝え、彼が宅送したようだ。女房や娘など女手のない寡(やもめ)男の入院はとかく気遣いなんていうものでなく、要領が悪い。

始めの間は、髭剃りはスタッフがやってくれたが、次第に寝ながら、独りで当たった。但し、鏡はなかったので不十分の所が残り、スタッフが仕上げをやってくれた。病院はここまでやってくれるものかと、くすぐったかった。

ベッド生活をしていると、当然、病院食であり、きざみ・流動食主体で苦手だったが特にお茶に“とろみ”がつけられているのは、お茶として飲める代物ではなかった。水も同じだった。朝方に目覚め、口の中が酷く乾く(口渇)ので水を飲むのだが、これにとろみがつけられているのでは口渇の解消にはならなかった。お茶と水からとろみを外して貰うことを頼み、容れられた。

水は吸飲みに入れてある。吸飲みは、朝方は足元にスライドされた食卓に置かれていることが多く、手を伸ばしても届かない。両足の甲を食卓の端に引っかけて引き込むと胸元まで近づけられて、吸飲みを口にすることが出来た。毎回この動作をしないで済むよう、ヘルパーさんに吸飲みを、隣人と共用の小さい台の右手が届くスペースにおいて貰うよう頼んだ。

私は、意識は戻ったにしても、自分固有の生活必要品は、病院から求められた電動カミソリやシャツ、室内履き靴などに限られ、病気治療が目的であるから100%病院のお任せの生活であり、自身による生活目標などは全くなく、弱り切った動物(ヒト)が本能的に地べたをよたよたと這うだけで生きていた(生かされた)に過ぎなかったのである。まともに.おしっこや大便をしたい、とろみの入った水は厭だ、早くミトンを外してくれなどという欲求しかなかったことがそれを物語る。それ以上の意欲―例えば暇だから本や新聞をみたいーが全く湧いていない。なんという体たらくだったのかと情けない思いで回顧する。

くだらない、些細なことばかりを気にしていた。夕食を済ませた後は、横になるべきことを課せられていたわけではないが、眠りたい気がないままベッドを水平に戻して横になる際に、部屋にはまだ石上さんのお嬢さんが残っているときもある。電灯がついているので、私が気に入った特定のタオルを折って目隠しにする。寝ている間に、または、8時45分ごろのおしめ交換で掛布団をめくったときに、そのタオルが布団の中に紛れ込む。眠るための必需品だから、手探り・足探りで探す、見つからない時、部屋に見守りに来たスタッフの人に探してもらう。探さないで済むようにベッドの柵のどこに下げるかにグダグダ悩む、下げたタオルがまた見つからなくなった、掃除に来たパートさんに探してもらう、ベッドの下に落ちていたのを拾ってもらう、次は柵の何処に落ちないように下げるか、などの調子である。

天井と平行のパイプに点滴のバッグがフックで止められ、そこからチューブが私の腕の血管に差し込まれている。入院期間の大半は点滴のお世話になっていた。私には大切な栄養の供給源であるとの思いがあり、痛いなどの感覚はないので、隣人にはバッグからチューブにポトポト液体が落ちているのに私には落ちていないと見て、不満だった。チューブを外されたときは更にそうだった。病院側ではチャンと点滴の必要性を測っていたに相違ないのに、私は点滴していただけませんかと頼んだことがあるが、今日はしませんとか不必要になったとかの説明を受けたことはなかったと思う。

天井の、しみである訳はないが、ベッドに寝ている目の先に17年前に天国に行った私の妻の名の“ひろこ”と読める模様めいた印(しるし)がある。彼女の位牌だと見做し、それをじっと見つめていると字がユラユラと動きだすのだ。思わず胸に手を合わせて「俺はこんなところにいるよ。一緒の時は君に何にもしてあげず申し訳なかった。近いうちに君に会いに行けると思うよ。お休み。」とつぶやいた。合わせた手が、石上さんや看護師さんに見られたら恥ずかしいので、掛布団をかぶせたものだ。

ベッドの頭側に窓とカーテンがあった。外界は寒い季節だったがナースが時々かなり大きく開けた。それは単なる外気の取り入れのためではない。隣人のおむつ交換時での大便の処理のためだ。大をしたときのおしめ交換には臭いが漂うのは当然だ。自分もそうだったことを他人によって知らされた。カーテンがゆらゆら動いていた。外気は冷たくともウェルカムしたのは当然だ。

次回へ続く・・・

 

著者プロフィール

大山 Tak 卓 1931年生まれ。

介護ホームローズ(仮名)入居者。東京大学法学部卒。国税庁入庁(大蔵事務官)、税務署長。エッソ石油(現エクソンモービル社子会社)税務部に転職、東京及びニューヨーク本社在勤。その後、ファイナンス会社数社の経営に参画。対米、カナダ、香港の投・融資・契約業務実施。国際経営コンサルタント。

編集者:野口 Kao 廣太。1986年生まれ。介護ホームローズ(仮名)施設長。理学療法士。デンマーク国立Egmont校卒。スヌーズレン施設設立。教員アシスタント。デンマーク福祉施設にて障碍者、高齢者への支援を実施。

 

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ABOUT ME
堀田慎一
経営コンサルタント/MBA/大阪市立大学大学院非常勤講師 1992年より2015年まで大手経営コンサルティング会社にて勤務。うち2002年から2005年まで一般財団法人医療経済研究・社会保障福祉協会医療経済研究機構にて勤務。2016年より一般社団法人国際福祉医療経営者支援協会代表理事。