実録 蘇生した介護老人

第11話 オモロイ会話 -実録 蘇生した介護老人-

オモロイ話 ー実録 蘇生した介護老人ー

「ねー、あなた、昨日お風呂に行った?」 十河さんが隣席の栗村さんに聞いている。
「行ったような気がするわ」 栗村さんも危なっかしい。
「どうだったかしら、上の階だったような気がするわ」 栗村さんは真剣になっている。
「私はここに来てからお風呂行ったことないわ。」と、十河さんも真面目にしゃべっている。

二人とも耳が弱く、かなり大きな声でしゃべるのでちぐはぐなオモロイ会話がよく聞こえる。入浴日は男性が水曜・土曜午後、女性が火曜・金曜の午前・午後と決まっており、職員が大体決まった順番で各人に呼び掛けるので、風呂好きの私は人様の順番でも大体知っている。勿論、両女性はいつもウキウキと風呂に行っている。

施設に入所した新人が入居の挨拶をした直後に、隣人たる先住人から「あなた何年生まれ?」 もっとストレートには「あなた、お幾つ?」、 婉曲であれば「あなた、何ドシ?」と聞かれるのが常だ。
「あなた、お幾つ?」と、真っ先に、十河さんから聞かれた。
「85です」と正直に言った。「狐年です」と、ふざける方法もあったかもしれない。
「あら、そう。私は86、一個上ね」と先輩風を吹かせる。
「でも、もしかしたら同学年かもしれませんね?」
「終戦の時は女学校の何年でした?」と返す。
「3年よ」と彼女も返す。
「私も3年だから、お互いに同学年・同級生じゃないですか!私が正月の早生まれ、あなたは遅生まれ、何月ですか?」 と確認したくなった。
「10月△△日よ」 (日にちは覚えていないが下旬だった。)
「あ、それでは違いは2ヶ月もないですね」と、年齢問答は収束したと思った。この施設への入居時期の差も3ヶ月程しかないことが分かった。その後、彼女からの年齢の質門は何回も受けた。私の対応は、徐々に空返事になっていった。

「ねー、私は年金を貰っているのかしら?」今度は栗村さんが十河さんに問いかける。隣合わせの席におって、いろいろの会話に応じてくれるので、栗村さんは十河さんに信頼を寄せているようだ。
「ここの人たちは誰でも年金を貰っているわよ。貰ってない人は此処に入れないわよ」と、十河さんは一応正しい説明をしている。
「私は貰ってないわよ」栗村さんが怪訝になっている。
「年金はね、銀行や郵便局に振り込まれているのよ」十河さんの説明はまともだ。
「何処の銀行なの?貴女の住所は何処になっているの?」十河さんは、少し面倒くさくなって二つの質問を同時に栗村さんにした。栗村さんは混乱してくる。
「私は此処が住所よ」 栗村さんは自分が寝ているここの施設(豊島区)が住所だと答える。
「この辺なら沢山銀行があるわ。西口?東口?」十河さんは年金の払込先の銀行の名前と所在を聞こうとしている。
「西口だと思うわ」
「それなら四菱銀行でしょう」 段々、銀行と場所が詰まりそうだ。
「そこに行って聞いてみるわ」 栗村さんが自分で調べるような口ぶりだ。
「でも、そこで何を聞けば良いの?」 栗村さんが十河さんに尋ねる。

これはまるで落語だ。

「娘さんがいないの?何処に住んでいるの?」十河さんが答えようがなくなって、栗村さんの娘さんを引き出そうと試みたようだ。
栗村さんは手持ちの布袋から封筒類を取り出して娘から来た封筒を見つける。
十河さんはその封筒の裏面に目を遣って、「そこに手紙を出して銀行が何処か聞けば良いわ」と、助け舟を出す。
しかし、栗村さんはそれから頭が混乱し、泣き崩れたようにテーブルに頭を伏せた。

そこに寄ってきたスタッフの一員に、「私は年金貰っているの?」と、彼女の本来的な質問をする。スタッフは、先ほどの会話を大半聞いていたようで、「栗村さん、何も心配しなくて良いですよ」と、肩を叩いて慰め、配膳された夕食を促した。私が眺めたら心配ごとなどなかったが如く、あっさりと完食したようだった。だが、まだ悩みは続いていた。

『宵闇(よいやみ)迫れば 悩みは涯(は)てなし みだるる心に・・・』の歌詞そのもののように、栗村さんはその後も夕食時になると、十河さんに嘆息を吐き出す。
「私、年金がないの。どうやったら貰えるかしら?」
「貰っているよ。銀行で調べなさいよ」毎夕のことなので十河さんは応えるのを面倒くさがり始めた。
その翌日の4時頃、私が食堂ホールの片隅にしつらえて貰った読書・パソコン用テーブルでパソコンを打っている時に栗村さんが車椅子でにじり寄ってきて、半ベソの顔で、
「ちょっと教えて頂けませんか?私は年金がどうなっているか分からないのです」と同じテーマで救いを求める。私は彼女の悩みは何度も耳にしているので、そのポイントは、

①年金が払い込まれている銀行・金融機関を特定したいこと
②2ヶ月毎の振込金額を知りたいこと
③施設への支払金額に年金振込金額が不足する場合、娘さんが保証人としてどのように補填しているかを掴んでおきたいこと

…なのだと括(くく)つたが、これらは私が調べられることではなく、また、栗村さん自身が調べられる能力はないのでー土台、外に出かけられないー娘さんに聞く以外にない。

「調査の要点を紙に書いてあげるから、次回娘さんが来たときにお渡しなさいよ」と私が言い、夕飯前にA4紙に上記の3点を手書きして、手渡した。十河さんも目を遣ったあと、栗村さんは布袋にしまい、丁重に「有り難うございました」との謝意を言われた。 …が、仕舞ったまま忘れたのだろうか、その3日後、訪ねてきた娘さんに同じ年金問題を聞き、「心配しないでいいよ」と言われていた。娘さんや孫娘も必ず毎週来ていることも忘れて、娘さんは、

「来ているのに、いやーね」と、ぼやいていた。私が来たメモを娘さんに渡したかどうかは分からない。私はそれ以上出しゃばることは止めにした。

老人施設や介護ホームの入居者にとって、年金収入・支出のお金の問題だけは、潜在的・顕在的を問わず、意識の底に強烈にある。施設にとって、「心配しないで良いですよ」とワンパター⁻ンだけで応答しないで基本的対応法のマニュアルを作っておくか、保護者に対して年金の制度を説明する資料を渡しておく必要がありそうだ。なぜなら、保護者の方でも年金の制度を知らない可能性があるだろう。

次回へ続く・・・

 

著者プロフィール

大山 Tak 卓 1931年生まれ。

介護ホームローズ(仮名)入居者。東京大学法学部卒。国税庁入庁(大蔵事務官)、税務署長。エッソ石油(現エクソンモービル社子会社)税務部に転職、東京及びニューヨーク本社在勤。その後、ファイナンス会社数社の経営に参画。対米、カナダ、香港の投・融資・契約業務実施。国際経営コンサルタント。

編集者:野口 Kao 廣太。1986年生まれ。介護ホームローズ(仮名)施設長。理学療法士。デンマーク国立Egmont校卒。スヌーズレン施設設立。教員アシスタント。デンマーク福祉施設にて障碍者、高齢者への支援を実施。

 

我々は、医療・介護・福祉のすべての人に有益な情報をお届けする活動をしています。
ぜひ以下のサイトもご参考になさってください。

一般社団法人
国際福祉医療経営者支援協会

一般社団法人
これからの介護医療経営塾

現在、病院管理者養成塾、第1期生募集中です。

医療・介護・福祉に携わるすべての人に読んでほしい
Daily Reportの詳細は下記をご覧ください。

堀田の書籍はこちら
コミュニケーション活性化で組織力向上! 経営者・管理者が変える介護の現場
ABOUT ME
堀田慎一
経営コンサルタント/MBA/大阪市立大学大学院非常勤講師 1992年より2015年まで大手経営コンサルティング会社にて勤務。うち2002年から2005年まで一般財団法人医療経済研究・社会保障福祉協会医療経済研究機構にて勤務。2016年より一般社団法人国際福祉医療経営者支援協会代表理事。