実録 蘇生した介護老人

第13話 あっち(南側)の人達 -実録 蘇生した介護老人-

南側の人たちー実録蘇生した介護老人ー

6階南側エリアの入居者達は、私の目からは北側の仲間より元気な人が多いように見えた。エリアと食堂ホール自体も広く、 施設の職員の事務のコーナーも南側にあり、活発に動き回っていたのでその感を強めたかもしれない。「さー、あっちへ移動しましょう」との夕飯後7時の呼び掛けがあって、私は南側の入居者の数人の人達の特徴を知った。

7時には南の人達は、既にホール内の自席やテレビ周りの席に三々五々座っていた。テレビから4~5間離れたスペースで男性と女性2人が談笑していた。男性はパジャマ姿に首にタオルの、涼み台で将棋を指す小父さんスタイルだ。私は中に割り込みたくなって、ついアメリカ流に「May I join you ?」と言いかかったが、「仲間入れて貰ってよいですか?」と、使い慣れない日本語表現で声を掛けた。

「どうぞ」と快活に返され、「私は大山と申します。風呂場でお会いしていますね。」と挨拶した、彼は「竹貫です。」と言った。女性の方は「△△△です。前は舞踊の師匠をしていました。」と、手ぶりを交えて自己紹介したが、強い意識を持たなかったため竹貫さんと話をしている間に名前を忘れたので再度聞くことを逃してしまった。(そういう場合は、誰かがその人の名前を口に出すのを待つ手があるが、誰も口にしなかった。もう一人の女性は何も話しをしなかった。)

竹貫さんとは話しが進み、彼は高校をでた後寿司屋に入り、修行を積んだときにニューヨークに店を張っていた先輩から「ニューヨークに来ないか」と誘われたが行かなかったなど、私と全く世界の違うプロの職人と知り、興味を引いた。彼が誘われた時期は、私がManhattanにいた時期(1969年)に近いだろうと思い、「その頃は、日本人在住者は1万人、日本食レストランはNYでは50店位しかなかったですよ。そこに東京の超高級店の吉兆やさいとう等があり、日本では到底行かれない吉兆が一人5ドルもしないので女房と2、3度と行きましたが、格好のお寿司屋はなかったようでした。その頃、竹貫さんが行っていればうんと稼げたンではないですか?」と物識りげにしゃべった。彼は、「東京でも実入りはタップリありましたよ。それで飲み食い、遊びをうんとしましたよ。」と、その後のハチャメチャともいえる生活振りを外連味(けれんみ)なく語ってくれ、面白かった。

北側のセクションではこういう中身のある話を交わせる相手はいない。

ホールの壁際に腰かけていた女性がある夜、テレビを見ていた6人程の我々に向かって突然大声で怒鳴り始めた。
「あんた方は向こうから来たンだろう。テレビ煩(うる)せー!早く帰れ!」
皆がギョッとして振り向いたがジッとしていたら、
「何故帰らないの、警察呼ぶよ!」と一層激する。

私は立ち上がって、「テレビは煩くなんかないよ。煩いのはあんただ。帰れとは何だ!」と思わず怒鳴り返した。彼女も立ち上がった。男性職員が彼女の肩をたたきなだめ始める。直ぐには収まらない。我々は、彼女を無視して、テレビに戻る。時は、9時10分前、消灯時間10分前だが、皆は切り上げてそれぞれの部屋に戻った。私と彼女は、最期までにらみ合いを続けた。

職員が私の耳元で「済みませんでした。あの人は普段は大人しいのですが週一度位は爆発するのです」と説明してくれた。常に明るく機知に富む女性職員の蒲田さんと中林さんに手をつながれて薄暗い廊下を通って北側の部屋に戻った。
翌日も彼女との対峙を楽しみ(?)にしたが何事も起こらなかった。爆発はなかったのだ。

彼女の印象が強かった一因は、彼女の姓が私と同じで、彼女が「大山さん、一人で歩いては駄目よ」と職員さんから叱られる度に、私がビクッとしたことにある。

昼は南側エリアから北側への廊下を、夜はテレビホールの空いたスペースを、のべつ幕なしに車椅子で徘徊するインテリ風老婦人がいる。車は自分の足を滑らして前方45度の方角に進めるだけなので机や椅子の足や壁によくぶつかる。ぶつかった場合直ぐ傍の人がその車を後ろ向きに直してやろうと手助けするが、その人の動作も怖い。この老婦人が6階北側へやって来て、私の椅子の横を通って先に進むのかと思いきや、椅子にぶつかって来た。私は黙って方向転換させてやった。

職員は、彷徨でも同フロア内であれば、「あれ、△△△さん、どこに行くの?」と言うぐらいで寛容に扱うが、本人は本来的には外歩きをしたいのではなかろうか? 此処の施設は、居住者には自分のいるフロア以外に付添人なしで歩くことを禁止している。

次回へ続く・・・

 

 

著者プロフィール

大山 Tak 卓 1931年生まれ。

介護ホームローズ(仮名)入居者。東京大学法学部卒。国税庁入庁(大蔵事務官)、税務署長。エッソ石油(現エクソンモービル社子会社)税務部に転職、東京及びニューヨーク本社在勤。その後、ファイナンス会社数社の経営に参画。対米、カナダ、香港の投・融資・契約業務実施。国際経営コンサルタント。

編集者:野口 Kao 廣太。1986年生まれ。介護ホームローズ(仮名)施設長。理学療法士。デンマーク国立Egmont校卒。スヌーズレン施設設立。教員アシスタント。デンマーク福祉施設にて障碍者、高齢者への支援を実施。

 

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ABOUT ME
堀田慎一
経営コンサルタント/MBA/大阪市立大学大学院非常勤講師 1992年より2015年まで大手経営コンサルティング会社にて勤務。うち2002年から2005年まで一般財団法人医療経済研究・社会保障福祉協会医療経済研究機構にて勤務。2016年より一般社団法人国際福祉医療経営者支援協会代表理事。