実録 蘇生した介護老人

第2話 おしめとの葛藤 -実録 蘇生した介護老人-

おしめとの葛藤

B病院に転院の2週間後位には、意識レベルは漸く清明(医学用語)に近づいた。そして、2人部屋にいる右隣ベッドの老人の状態との比較をしたい気に駆られていた。隣人は口をきけないが意識があり、時々呻めいていた。その老人は私より少し年上に見えた。

右側の壁に掛かっていたボードで名前は石上さんと読めたのだが、肝心の自分のボードは読めない。 読めない訳だ。私は四六時中ベッドに横臥しているので、頭の先に掛かっているボードを読むには少なくとも後ろ向きに座って首を上げなければならないところ、横臥している身体は右か左に向き直すだけで、立つことはおろか、座ることも出来ない。

私は、日がな一日おしめを着けられていることに気がついた。 現代語では「紙パンツ」というべきだろうが、B病院では「おしめ」を用い、日常「おしめ交換」を常用していた。患者にはこの方が優しい響きだ。所詮、赤ん坊と同じ扱いだから・・・。

トイレに歩けないから、小も大もそのパンツに放出するのだ。それは、自意識がない患者にとっては何も気にならないことだろうが、意識が蘇った私にとっては耐え難い屈辱だった。
一日に何度も、部屋にきた看護師さんに「看護師さん、ちょっと済みませんが、いま何時ですか?」を尋ねた。彼女は自分の腕時計をみて、「何時何分、何日です」と教えてくれる。部屋にはカレンダーも時計もなかった。
尋ねるタイミングに気を遣った。部屋に入ってきたスタッフが隣人のケアに来たときは、いきなり「ちょっと看護師さん」と呼びかけることは遠慮せねばならず、隣人の仕事が終わった時に声掛けしようと待っていると、看護師さんは私に背を向けて部屋から出てしまうのだ。私を先に診てくれる場合や院長回診の場合には呼びかけは問題はないが、ケアの順番は大概部屋の先住者が先だ。

「おしめ交換」は早朝4時、午前10時、午後5時、夜8時最終と定まっていた。といっても、その時刻は私にとっての定刻ではなく、3階を回ってから2階に来るので当然1時間弱の時差があった。これを測定して待つのが堪えるのだ。

おしめ(紙パンツ)の「小便吸収能力は1リットルあり1日分でも余裕がありますから心配しないで出してください」とスタッフから説明されるが、朝食時に濡れたままのおしめを尻に当て座卓の下に足を伸ばして座ることは余程の図太さがないとできない。まして、大便もおむつにひねり出すのだから糞まみれのまま座位で食事をとることは耐えられない。人間のすることではない。牛馬でも糞は外に出すではないか!

「いま何時ですか?」は、おしめ交換時の直前におしめに放尿や排便をし、おしめ交換をしてもらい、食事の時には綺麗になることに懸命だったからだ。夜半に目覚めて小便がしたくなり、反射神経的にトイレに行こうとしたが、おしめをしていることに気付き、自覚しながら“寝小便”することは辛かった。

それで、おしめが濡れていたり、ウンチがおしめに止まる時間を最小化したりするため、おしめ交換に来る時間をできるだけ正確に予想し、今の時刻を知れば、次の交換時までの待ち時間―10分ぐらいか20分ぐらいか―を予想できる。そして、オシッコであればそれまで待つ努力をし、宿便の場合であればその時間に出しておくよう力むのである。待つ場合は、尿意の気を紛らわすよう歌うのである。歌っている間に10分位稼げないかと願うのである。ところがもともと歌のレパートリーの少ない私は、なお歌詞を知らないし、忘れている。覚醒したばかりのときに思い出せると思った歌は第一に「海ゆかば」、第二に旧制一高寮歌「嗚呼玉杯に」、第三に「湯島の白梅」ぐらいのものだ。

「海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍 大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじ」と出来るだけゆっくり声に出して歌った。3分ぐらいかかるかと期待したがとてもそんなに掛かっていないと思った―時計がなく測れなかった。次は、「嗚呼玉杯に花受けて 緑酒に月の影宿し 治安の夢に耽りたる 栄華の巷低く見て 向ヶ丘にそそり立つ 五寮の健児意気高し」。これは元々スローテンポで1番だけでも、も少し時間を費やせると思ったが2番以下(5番まである)の歌詞は思い出すことは出来なかった。1番でも、繰り返しくりかえし確認しないと歌詞がコンガラガッテくる。看護師さんに聞いても無理だろうと思った。「湯島の白梅」(湯島通れば思い出す お蔦主税(ちから)の心意気・・・・)は、後述する石上さんの娘さんに思い出せない部分を聞いて全番を通して歌えるようになった。が、言わんとすることは、この3曲をもってしても、到底10分も持たなかったことだ。実質3分ぐらいに過ぎない。それで、この3曲を3,4回繰り返した。これで盗塁セイフになったことがあったが、おしめ交換にきたスタッフに対して、「今出すからちょっと待って」と、テニスのコース審判の判定を請求するような場面もあった。

宿便で気張って出さなければならないときは、手を伸ばしたところにあるベッドの鉄柵パイプを両手で握りしめて肛門から捻りだせるように気張るのである。時間がかかる。疲れたときは深呼吸を挟む。土台、大便は胴体を立て、出来るだけ大腸の末端が垂直になるようむしろ上体を前かがみにする姿勢を取らなければならないところ、仰向けに寝たまま大便を出すことは物理的に無理がある。下痢の場合には問題がない。オシッコの時に唱えた呪文は使えない。確実に10分間以上、気張りを断続的に続ける。苦労だった。

しかしそれで出たときの快感は他に例えようもなかった。ただ、すぐこれが処理されない時の気分はご想像に任せる。

次回に続く・・・

 

著者プロフィール

大山 Tak 卓 1931年生まれ。

介護ホームローズ(仮名)入居者。東京大学法学部卒。国税庁入庁(大蔵事務官)、税務署長。エッソ石油(現エクソンモービル社子会社)税務部に転職、東京及びニューヨーク本社在勤。その後、ファイナンス会社数社の経営に参画。対米、カナダ、香港の投・融資・契約業務実施。国際経営コンサルタント。

編集者:野口 Kao 廣太。1986年生まれ。介護ホームローズ(仮名)施設長。理学療法士。デンマーク国立Egmont校卒。スヌーズレン施設設立。教員アシスタント。デンマーク福祉施設にて障碍者、高齢者への支援を実施。

 

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ABOUT ME
堀田慎一
経営コンサルタント/MBA/大阪市立大学大学院非常勤講師 1992年より2015年まで大手経営コンサルティング会社にて勤務。うち2002年から2005年まで一般財団法人医療経済研究・社会保障福祉協会医療経済研究機構にて勤務。2016年より一般社団法人国際福祉医療経営者支援協会代表理事。