今月の表紙:社会福祉法人長命荘 特別養護老人ホームフォレストホーム
孔子や孟子に代表される儒家思想と並び称されたのが老荘思想です。これは中国の思想家「老子」と「荘子」の頭文字をとった名称です。中国三大宗教(三教と言い、儒教・仏教・道教を指す)の一つであり、「道」という概念を重要視したことから道家思想とも呼ばれます。
この両思想は様々な点で違っています。儒家が文明化のすばらしさを説くと老荘は文明化こそ人間を不幸にしている、と説きます。儒家がしっかりと勉強をしようと言うと、老荘は頑張りすぎるから人は悩むのだ、と説きます。そして到達した考えが「無為」(自然体)の境地と言われるものです。
この老子や荘子が唱えた道家思想は、人生についての深い思索を極めているようにも思えます。日本は儒家思想に影響を受けた純粋な子供の国、中国は道家思想に影響を受けた老獪な大人の国、という印象を私は持ちます。実際、中国の知識階級の人々のなかには、公的には儒教思想によって生き、私的には道家思想によって生きる、という言葉があるとも聞きます。
老子はこう述べています。
罪は欲すべきより大なるはなく、咎(とが)は得んと欲するより大なるはなく、禍(わざわい)は足るを知らざるより大なるはなし。故に足(た)るを知るの足るは常に足る。
(『老子』第46章)
(現代語訳)
欲望が多いことよりも大きな罪悪はなく、何かを手に入れようとするよりも大きな過失はなく、満足を知らないことよりも大きな災禍はない。そこで満足することを知って満足することは永遠に満足することなのだ。
「足るを知る」という言葉は老子から来ているのですが、あくなき欲求を追及するのではなく、今の現状で足りていることを満足せよ、ということです。
上善は水の如し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る、故に道に幾(ちか)し。居は地を善(よ)しとし、心は淵を善しとし、与(まじわ)るは仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。夫(そ)れ、唯だ争わず、故にとがなし。
(『老子』第8章)
(現代語訳)
最上の善なるあり方は水のようなものだ。水は、あらゆる物に恵みを与えながら、争うことがなく、誰もが皆、嫌だと思う低いところに落ち着く。だから道に近いのだ。身の置き所は低いところがよく、心の持ち方は静かで深いのがよく、人との付き合い方は思いやりを持つのがよく、言葉は信(まこと)であるのがよく、政治はよく治まるのがよく、物事は成り行きに任せるのがよく、行動は時機にかなっているのがよい。そもそも争わないから、だからとがめられることもない。
道教の教えは仙人となることを理想とした、と言われます。その一端が垣間見える内容ではないでしょうか。老子は世の中を大所高所から達観しているようです。しかしそこには、大事な人としてのあり方のヒントがさりげなく語られているのです。
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